哀愁の秋桜

先日、仕事で木城町の山手の方に車を走らせていましたら、目前に花畑が広がり思わず車を止めました。

しばらく見ているとこの風景は一人で見るのはもったいないと思いカメラを出し写真を撮っていたら、

近くにある直売所から女性の人が出てきて写真を取っている私に「ありがとうございます。」と声をか

けられました、この奇麗な風景にも感動しましたが、見ず知らずの店のお客さんでもない私に「ありがと

うございます。」と言われたことに心が震える思いでした。

そうした心地よい気分で花畑と山を見ていたら、ふと私の弟子の方々でこの風景を私の心と同じような、

ピュアな心で見れる奴はいるのだろうかと考えてみましたが、答えはゼロでした。子供たちは別です。

私が今日の事を話しても、高野、湯浅両名は気持ちのない返事、押川君は意味が分からない、金井君は

だから何だというような顔、池田君は唯一そうでしたかとの相槌を打つのが精一杯ではないか、そんな

事を考えて彼らの顔を思い出したら、なぜか腹が立ってきました。心の修業を強化させる必要があると

感じながら一人たたずんでいました。

ふと頭に「稽古に神変あり」という言葉が浮かんできて、本当の意味は、「どんなことでも懸命に努力を

重ねるうちに、高い境地に達することができるが、最初はなかなかうまくいかずにいらだつことやあき

らめるような気持ちになる、しかし続けることで思いを超えた境地にたどり着く」というような意味です

が、それと同じく心のない彼らですがあきらめず言って聞かせることで、私のようなピュアな心を持て

るようになり人の気持ちが理解できる本当の強い「もののふ(武士)」になることを信じてこれからも

頑張ろうとコスモスの花たちに誓いました。