お江戸先学の旅

全日本硬式空手道連盟新年度総会が2月18日に東京で開催されましたので

私の仕事の打ち合わせなども入れて、西君を伴いお江戸に昇りました。

今回は、例年の新年会を兼ねた総会ではなく昨年末に亡くなられました、

「千葉拳二郎先生」をしのぶ会でもあり、生前の千葉先生の御厚情に報いる

ためにもお手伝いが出来ればとの思いで西君を同行させてのですが、人選を

誤ったかもしれませんでした。

全国から連盟の役員の方々が集まり、今年度の予定や、競技内容(ルール、試合内容、モラル

等々)建設的な意見が多く出て内容の濃い会議でした。(詳しくは内容をまとめまして、幹部

会、父母会)等でお知らせをいたします。

行程の中空いてる時間で西君が東京を知らないというので、お江戸見物(学術的な視点で)を

しました。今年で移転をするので見納めに築地市場に行き見学をしたのですが、ここも外国の

観光客でごった返しておりました。西君は場外のすし屋、天婦羅屋などを食い入るように見、

気に入った店の前から動こうとしないので仕方なく寿司を食べましたが、量が半端ではなく、

お江戸に行く前の週に私に(最近100㌔を超えたので炭水化物を抜くダイエットをします)

とのたまわったばかりなのに、と代わりに彼がスカイツリーにどうしても登りたいというので

築地から浅草まで歩きました。彼の歩くペースが落ちたと思い(急げとはっぱをかけましたとこ

ろ、またずれをおこしました)との答えがかえってきました。

しかし、その途中で両国を通り両国国技館を見れました。多分高田みずえさんの旦那さんの部屋

だと思いますがそこも通りました。

私の友人でもあり仕事の仲間でもある大内さんとの打ち合わせが終わり、彼が築地、浅草のガ

イドもやっていたので(浅草育ち)彼に築地、浅草、銀座を案内してもらいました。

私も30数年前東京で徘徊をしていたころの好きな街ベスト3に入るほどこの町の雰囲気が好

きでした、現在はやはりここも外国の観光客であふれていました。

銀座に行き歌舞伎座の地下になんとなく降りたところ、見慣れた宮崎のひなたのマークが目に

入り思わず中の人に声をかけた所、宮崎の漬物屋さんが観光用に商品開発をし販路を拡大する

為にアンテナショップのような形で出店しているとの事でした、わりと受け見がちな宮崎県人

ですが宮崎の人もチャレンジャーな人がいると思い感動しました。

その後、彼と別れて私の好きな街ベスト3の葛飾区柴又の帝釈天と江戸川に足を延ばしました。

余談ですが、「鬼平犯科帳、フーテンの虎さん、俺たちの旅、西部警察」この作品たちは私の

人生でのバイブルと言っても過言ではない。

帝釈天の後に江戸川に出て、矢切の渡しの渡し場に行きましたがここは昔と変わらずに風情も

何もないところです、ここを西君を三途の川にしてやろうかとふとそんな思いが脳裏をよぎり

ました。気を取り直して、今年の7月に行われる「全日本硬式空手道選手権大会」が開催され

る日本武道館を下見をして終了しました。

夜は、鹿児島県硬式空手道連盟・拳心会の川越先生、審判部長の福嶋先生ご夫妻と食事をさせ

てもらいました。因みに今年度から九州硬式空手道連盟の会長に川越先生が就任されました。

話をしている中で、福嶋先生の奥さんと私の郷里がすぐ近くではないかということが判明し、

さらに福嶋先生の出た高校も私の郷里にある高校と判明してこの縁は偶然ではなく必然ではな

ないかと今まで以上に親近感を覚えました(相手の方の気持ちはわかりません)、以前から、

拳心会さんの中でも非常に好きな先生方で、空手の話、それぞれの自分史などを語り合ってと

ても楽しい時間でした、また見習うべきところが、福嶋先生が奥さんを紹介された時に「自慢

の嫁です」と紹介をされて、この言葉に男の純情と潔さを見ました。

割と日本人は控えめに、私の愚妻です(ブ妻とも言う)などと言いますが、私はこの紹介の仕方

に感銘しました。その後飲んでいくうちにそうゆう風に紹介をしなければならない現実をかいま

見ましたが、しかし私の郷里の鹿児島県日置市吹上町のゆかりの3人なので今度「吹上友の会」

の結成を提案してみようと思います。

とても忙しい行程でしたが、私も西も見聞も広げられて、人の輪も広がり有意義な旅になりまし

た、留守を守っていただいた方々に感謝です。