鹿児島 知覧の旅

昨年の12月、世間では正月の準備などで忙しくしているさなか、

顰蹙を買いながらも友人と知覧に行きました。

上の砂浜は私の故郷の吹上砂丘です。ここから知覧は近くなので私は何度か行っていますが、

友人の坂本君がどうしても行きたいと駄々をこねまして知覧への旅となりました。

私も彼も思想的なものはなく、坂本君が無類の飛行機好きでそれも戦闘機が好きなようで、

宮崎の新田原航空自衛隊の航空祭などは前日から仕事を休み気合を入れて見に行くほどです。

学生時代から一緒ですが人と争うことは嫌いで、どちらかといえば内向的なやつなのですが

なぜか飛行機のこととなると普段にはないパワーを出します。

高倉健さんが亡くなりましたが、「ホタル」という映画があります、その舞台が知覧ですが、

そのロケで鹿児島の城山観光ホテルに宿泊をしていた高倉健さんと仕事で宿泊をしていた私

がホテルのロビーですれ違うという幸せに恵まれたことを思い出しました。

ヤッケに作業ズボン、長靴と私が身につけたら単なる浮浪者にしか見えないような服でもあの

人が着ると少し離れたところからでもオーラを感じました。やはり着る人が着ればどんな服で

も輝くことを知りました。そんな思い出に浸りながら知覧独特の緊張を感じて新しい年に向か

う気構えをしました。

2世代の交流

私の兄弟弟子でもあり学校の先輩でもある赤崎さんの子どもたちと、私の弟子と息子たちと初めて

そろって飲みました。今迄別々では何回もありましたがそれぞれ大学にいっていたり、看護師の学校

だったりでなかなかそろいませんでした。しかしみんな学生を終わって社会人になったので、合わせ

ることができました。先輩とも30年以上前から一緒に稽古をして、師匠から言われて一緒にいろい

ろなところへ演武をしにいったりしました。私が人間的にとても好きな先輩です。

その先輩の息子たちと私の息子、娘のように思っている佳奈とだいたい同世代なので、彼らも一緒の

時代を空手の稽古をしてきた仲間でもあります。その子たちが皆それぞれに立派な?社会人になりこ

うやって酒を飲めるとは本当に感無量です。それぞれ小さいころから空手を始めて、学校や仕事はち

がってもこうやって仲間として楽しくやれるのも、彼らがその時その時に頑張って空手道を続けてき

たからこそ、分かり合えるのではないかと思います。これから仕事や結婚などで悩んだり、迷ったり

することもあると思いますが、仲間同士力を合わせていい人生を送ってほしいと心から思いました。

2014年士学館年末の宴

今年は後半になって私も公私ともに忙しく11月は大会や

空手の旅などで半分もいれずに皆さんに迷惑をかけました。

そんな事で忘年会のことも後回しになっておりました、

しかしこれはやらねばと思い急でしたが、集まるだけでも

と声をかけさせてやりました。

 

 

一応言い訳気味の挨拶で始まりました。

この女性が士学館の父母会会長さんです。その隣が旦那さんで、皆の模範となる夫婦です。

   

このたっているお人が、士学館で一番怖い顔の今村さんです。立派な運送会社の社長さんです。

 

 

どさくさに紛れて、この二人が12月25日に入籍を知るという事で、なぜか彼女のおなかに

ベイビーが順番が違うような気がします。この男の親の顔が見たい(私です)これからは男と

しての責任をもって行動するようにと、びしっとうちの相談役が言っていました。

 

 

今年もいろんなことがありましたが、何はともあれみな無事に過ごせたことが良かったと思います。

来年は士学館10周年私が空手道に関わって40年という節目の年ですのでよろしくお願いします。

 

北部支部 川南道場忘年会

館長の挨拶ですが、横にいる甲斐京介君(都農南小学校)と最初は公園でスタートをしましたのが

現在の川南道場です。半年間ぐらい寒い冬でも2人で公園で週2日~3日っ稽古をしました。

今彼は、組手でも形でも優勝できるまでに成りましたが、中学校に入ってからが勝負と約束をして

います。これからは少年部のリーダーとして後輩の面倒も見てください。

今年が初めての川南の子どもと父兄の方々一般道場生の忘年会でしたが、まだ新しい支部なので皆

さん元気に自分で目標をもって頑張ってください。都農から川南に移してまだ1年ぐらいですが、

ご父兄の方々の力もお借りして湯浅支部長の元空手道を通してみなさんの成長を期待しています。

明青塾 忘年会

今年もやってきました、明青塾、木原先生のこだわり忘年会!

木原先生の挨拶、ここまではまともです。

ゲームワン少し壊れていますが、女性メインですので何とか理性で我慢!

変態ゲームの初まりです。組手の得意でない湯浅師範代も変態度では負けていません。

惜しくも優勝は逃しました。

締めの挨拶をご指名でやらせていただきました。しかし夜はこれからです。

今年も楽しい夜をありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

中村先生お疲れ様でした、

沖縄空手の旅

何年か前からの想いがあって今回の旅になったのですが、ここ何年か指導をさせて頂いてる中で自分

の求める空手とは、自分の空手とは、という疑問がありよく考えてみると、生徒には空手道とは一生

を通じて行う武道です。といいつつ自分の修業がなされていなかったことに気づきました。

私自身自分の稽古はしているつもりでしたが、追及は怠っていたと思い私はまだまだ途中だなと思う

ようになり、もう一度自分のための修業をし私の考える空手道を完成させていと思い、定期的に時間

を作り、あちこちの空手を訪ねて勉強をさせて頂こうと思い今回がその1回目です。

まずは、空手といえば皆さん沖縄と思われる方が多いと思います、私も沖縄が好きで今迄十数回は行っ

ていますが、仕事と観光だったので今回のように空手を目的としては初めてでした。10年ぶりくらい

だったのですが、まず近代的になっていて新しい街づくりがしてありモノレールもできていて交通のア

クセスも非常によくなっていることに驚きました。今回ある先生の指導を受けに行ったのですが、空手

に対してのとらえ方が違うと思いました。単なる空手道という武道としてのとらえ方ではなく、そこに

は微妙に歴史が絡んでいることに気づきました。極論で言えば、日本としての沖縄県ではなく琉球王国

としての考え方やほこりが空手道を通じて生きていると思います。私が特に感じたのはその歴史を守る

という事、そしてまだ進化をしているという事です。10月25日は空手の日というのを県が決めて、

その日は、沖縄の空手道の各連盟などの団体が集まり、国際通りで1000人規模で演武を行うという

事でした。さらにユネスコの国際遺産に「空手道」を認定してもらうために申請をしているとの話でし

た。今回の旅の中で県の職員の方とお会いしましてその方がいろいろと話をしていただきましたが、県

のスポーツ部文化振興課という部署がありそこが今空手会館を造ったり先ほどのことなどを企画したり

しているところだと思いますが、その熱の入れようからして沖縄では「空手道」を武道としてだけでは

なく文化としてもとらえているのだと思います。ただ空手の発祥は沖縄ですが、各流派の方々が沖縄に

いらっしゃるのかというとそうではなく、明治以降空手道を本土に普及させようと先生型が関東、関西

などに移って行かれているので、割と東京が本部になっているところが多いのも現実です。普及させる

為にいろいろと変化をしたこともあるようだが、例えば競技(試合)としての空手、安全性、合理性を

追及した空手、近代空手と変化を拒んでいる空手を沖縄空手というように沖縄の空手関係者は分けてい

るのではないかと思う。どちらかを否定しているわけではないが空手の心理は沖縄にあるという事のよ

うな気がする。今回は時間もあまりなく最初だったので技自体はあまり吸収することができなかったの

ですが、それでも方についての分解や技の理など参考になりました。

これから沖縄だけではなく私の求めるものに会いに空手の旅を続けていこうと思います。2年ぐらいで

自分の考える空手道も形にできればと思っています。ただそんなに若くはないので、考えて動きたいと

思います、今回も1日6時間近くやっていましたら(朝の自主トレも入れて)さすがに2日目に答えま

したので、沖縄だからまむしドリンクを買って飲んだら、よく考えると沖縄はハブではなかったかと思

いましたがまとめて買ったのでそれをのみつづけました。最後に沖縄の観光客の半分以上は中国の人で

はないでしょうか、とにかく中国の人が多くて、ドラックストア―の店員さんまで中国の人でした、少

し疑問だったのはホテルの横がドラックストア―だったのでちょこちょこ行きましたが、そのたびに中

国語で私に話をしてきて、最初は中国の人なので日本語がわからないのだなと思っていたら、ほかのお

客さんには日本語で話をしていたので、私が日本人とは思われなかったのかなという事に複雑な心境で

した。

宮桜会・県北地区日大わっしょい

今迄も何度か掲載をさせて頂いています、「宮崎日大高校同窓会宮桜会」の年に1度のイベント

「日大わっしょい」が10月25日に宮崎で行われました。去年から県北地区(日向、延岡)で

もおこなうという事で11月の15日に第一回の実行委員会を若杉日向支部長、日高延岡支部長

を中心に行われました。出席者は黒木会長、桃井副会長です。第一回を命を懸けて開催をしてい

ただいた、塩月先輩に報いるためにもこれから継続して行っていきたいと私は思っております。

その意思を2人の支部長が継いでくれると信じています、去年よりも大きくだとか派手にやろう

などではなく、縁あって同じ高校で学んだ者同士が年1回は集まり卒業してからの課外授業にな

れば一番いいのかなと思います。卒業してそれぞれの見てを歩いているものが集まりその経験や

苦労などを後輩などに話すことでその経験が生きることにもなると思いますので、しばらく学校

のことが頭から離れていた人たちも参加をしてください。日程は平成27年2月21日です。

場所、時間等が詳しく決まりましたら報告をします、尚、日向、延岡にお住いの卒業生の方で

お手伝いをしていただける方はご連絡をください。

鹿児島への想い

今回も姉の治療のための立ち合いで呼ばれて鹿児島医療センターに行ってきました。

この日も待合の時間があり久しぶりに、仕事、空手抜きの鹿児島散策をしてみました。私の好きなところは結構

ありまして、よく考えると年代によって思いが強い弱いというのがあるなと思います。簡単に言いますと子供の

ころ、幼少のころから小学生ぐらいまでは、現在の日置市(吹上町)での田園風景や暑い夏の日に田舎道を一人

でふらふらと歩いている自分、(基本一人での行動が多かった。協調性がない子供)中学生の頃は、親戚の家が

ある薬師町、荒田町など市内です、高校はなくて(宮崎での仕事?が多忙)県外に出て、鹿児島で就職をした

20歳前後はなぜか串木野町と甲突町が好きでした、訳は言えませんが、その後指宿である「菜の花マラソン」

に出るようになって指宿、枕崎、が好きになり、その後は城山公園付近と水族館があるあたりが好きになりま

した。それぞれにいろいろな思い出やエピソードがありますが、それは私の人格を問われることにもなります

ので伏せさせていただきます。

しかし、姉の病院が城山公園の下にあることもありこの辺りをよく歩きますが、1~2時間歩くだけでも鹿児島

の人立ちのプライドや気質がわかるような気がします。何かしら郷愁にもかられますが、頑張ろうという気にも

なるスポットです、ただこの日は灰が降った後で風が強くて舞い上がる灰で顔と口の中がじゃりじゃりになりま

した。

 

士学農場初めての命です。

今日、農園に土づくりをしようといってみたら、この間何も知らずにとりあえず種をばらまいていた

所からなんと芽が出ていました。久々の感動です、とりあえず本に書いてあったように土に肥料をや

ってきましたが、この小松菜がこの先皆さんの口に入るでしょうか、大きな期待をせずに待っていて

ください。老化が始まって、老眼になってきている、前田顧問、高野相談役、湯浅師範代、渡辺さん、

坂本君、その他大勢の人の為にブルーベリーの苗を植えました。この農園は趣味ではなく、それぞれ

の今後の生活、老後の生きがい、健康維持など切実な思いがありますので暖かく見守ってください。

また報告をします。

鹿児島での演武(祝武)

昨日(11月2日)に私の知人が結婚式を行う、その席で空手の演武をしてくださいとのことでした

ので私の弟子6名と出席して演武(祝武)を行いました。たまたまその日は鹿児島アリーナで「拳心

会秋季大会」が行われる日でしたので、鹿児島市の西と東を行ったり来たりの忙しい一日でした。

新郎(野田君)は中学校から日向学院でバレーボールの選手で高校の時には国体の選手にも選ばれる

程のアスリートです。現在でも社会人のチームで頑張っているようです。そんなことで出席者の半分

ぐらいはバレーボールの関係者の人たちで、背の高い人たちが多い披露宴でした。

そんな中での演武でしたので少し皆が緊張気味でしたが、始めれば気合が入りいい演武ができたまし

た、皆さんにも感動をしていただきました。ふつうそれで終わるのですがなぜか式場の方か、新譜さ

んのご親戚の方かにインタビューを受けまして、さらに新譜のお父さんとおばあさんと思いますが、

お礼までいただきまして恐縮しました。演台でそおゆうのをいただきますと旅回り役者のおひねりを

頂いたようで、スポットライトがほしい気分になりました。何はともあれ皆さんに空手道を少しでも

理解していただき、喜んでいただけてのでよかったと思います。

ちなみに、(おひねりは鹿児島中央駅のお土産店街で協力してくれた人たちに鹿児島のお菓子を買って

渡しました。)それからすぐに試合会場に引き返しましたが、ちょうど試合が終わり閉会式がはじまる

所でした。結果を聞きましたら、優勝者2名、入賞者6名ととても頑張ってくれていました。(私がい

ない方がいい結果が出るのか?)詳しくは大会情報で近日中にお知らせをします。